地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、千葉の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

千葉の地域情報サイト「まいぷれ」

編集部のつぶやき(千葉・船橋・市川・習志野)

割烹旅館玉川が閉館 後世に語り継がれる想いとは

船橋のランドマークといっても過言ではない、歴史ある旅館の最後を取材してきました。

割烹旅館玉川が閉館した理由を単純に「新型コロナウイルス感染症の影響だ」と思う方々も多いが、理由はそれだけではない。玉川旅館の閉館について語る女将の覚悟や想いとは…。

太宰治ゆかりの宿 国の登録有形文化財の玉川旅館 

 

市内にある国の登録有形文化財4つのうち、3つが玉川旅館という船橋を代表する旅館(本館、第一別館、第二別館が国の登録有形文化財に登録されています)。

 

玉川旅館は西暦1921年に料亭として営業を開始。

1949年からは旅館業も加え、宿泊客はもちろん、宴会などでも多く利用されており、間もなく創業100周年を迎えようとしていました。

 

そのため、玉川旅館が閉館するという衝撃は、地域の情報サイトを運営する弊社中の話題になり、一時騒然となりました。なぜ閉館という決断に至ったのかを伺いたいと思い、取材にいってきました。

記者や報道が集まっていた(一定の距離を保ちながらの会見でした)。

玉川旅館に生まれた女将さんに、この旅館での思い出について聞いてみました。

今まで女将として接客を続けてこられたのは、「お客様や地域の支えがあったから」

 

「“普通の生活”に憧れを持っていた。サラリーマンと結婚し、普通に生活がしたかった」。そんな話を女将は語っていた。

 

懐かしい思い出がたくさんあるが、子供のころは親に構ってもらえない寂しさがなによりも大きかったという。生まれた時からこの旅館で育った女将だからこその思い出だ。

 

その為、この旅館を継いだときも、母から受け継ぎ自然と女将になってしまったという感覚だったそう。

「せめて100周年は続けたい」という漠然とした目標をもっていたという。


大正・昭和・平成・令和の時代を生きた玉川旅館は今年で99年目だ。

この想いや環境の中で、今まで女将として接客を続けてこられたのは、「お客様や地域の支えがあったから」と話をしてくれた。

達成感と開放感。「ありがとう」と感謝を伝えたい。

 

閉館を決めたときは、断腸の想いだったそうだが、「ホッ」としたとも語っていた。

100周年を迎えるという責任が、女将にとってどれだけのプレッシャーだったのだろうかと、言葉の1つ1つに重みを感じる。


「また来るよ」と声をかけるお客様が非常に多かったようで、「既に閉館を考えていることを、とても申し訳なく思い、決定した後もなかなか言い出せなかった」と心境を話してくれた。

 

本来は感謝の気持ちを伝える場を設けるべきであり、セレモニーも考えていたそうだが、新型コロナウイルス感染症の影響で叶うことはなかった。

「新型コロナウイルス感染症の影響で、直接お伝え出来ないことが非常に残念です」と寂し気に、そして申し訳なさそうに話をしていた姿が印象的だった。本来であれば100年間の歴史を盛大に祝うことができたのではないかと無念に思う。

宴会や結婚式などをする大広間。

文豪「太宰治」が滞在した場所として名が知られている旅館を後世に伝える

 

なかでも有名なのは、「桔梗の間」だ。
桔梗の間は、たった四畳半。奥は畳三畳のちいさな部屋。この色香漂う空間が太宰好みだったそう。「同じ部屋に泊まりたい」と日本国内外からも多くのファンが訪れていた。

 

今回の閉館と取り壊しで、この桔梗の間も同様に姿を消す。船橋市民のみならず、文豪ファンとしても寂しい出来事であることは間違いない。

 

今後の取り組みとしては、この桔梗の間は船橋市役所の文化課により映像によって保管される予定とされている。また、建物の部材や調度品の寄贈を受け、郷土資料館などで活用も考えられているそうだ。

「桔梗の間」へ向かう、細い廊下。

手前が四畳半、奥が三畳。20日間ほど滞在し小説を書いていたと言われている。

この小さな机から名作が生まれたのか…。

※この桔梗の間は船橋市役所の文化課により映像によって保管される予定だそうです。

《玉川旅館の記録保存事業について》

登録有形文化財名:玉川旅館(本館・第一別館・第二別館)

場所:船橋市湊町2丁目6番5号

記録保存概要(予定)

・建築物の専門家による調査・図面作成
・報告書の作成
・建造物内外の映像記録(動画・静止画)の作成
・館内の調度品・記録品・一部機材の寄贈受入

※なお、建物本体の保存を行う予定はありません。

船橋市教育委員会からのお知らせより

閉館・取り壊しを決意した理由とは。

 

この閉館は決して突然思い立ったことではない。
例年威力を増してやってくる台風などで起こる被害なども原因だという。


船橋の景色が年々変わっていく中で、周りの建造物の変化や、高い建物が増えてきた。そして“ビル風”のような強い風を体感することも増え、今までに感じたことのない恐怖感を覚えたのだとか。

 

昨年の台風15号で瓦屋根が壊れた際に、“その恐怖”はより強まった。「万が一、周辺の方やお客様に危険が生じたら…」とリスクを考慮し、修繕の見積もりも何度もおこなったそう。

 

しかし、玉川旅館の屋根は特注の瓦屋根を利用しており、その修理だけで数億円かかるようで、定期的なメンテナンスを含めると、継続は不可能をいう結論にいたった。他の事業者への委託も、定期的に億単位かかることを想定すると難しいと判断したのかもしれない。

 

由緒あるこの玉川旅館の閉館・解体は、地域と歴史を守るためのおおきな決断だったのだ。

会長からの挨拶。集まった記者や報道陣へのあいさつや感謝の気持ちを述べられた。

利用してくださった方々、地域の方々に感謝の気持ちを伝えたい。

 

お客様には、なかなか閉館について言い出せない時もあり、「また来るよ」という言葉を聞くたびに、心がとても辛かったと話されていた。今まで旅館を利用したことのあるお客様に対しては、今後、手紙でお知らせをする予定のよう。

 

閉館についてや、感謝の気持ちをお客様に直接お伝えるために、閉館セレモニーなども検討していたとのことだったが、新型コロナウイルス感染症の影響により、この歴史ある旅館のフィナーレを華やかに飾ることはできなかった。


しかし、船橋市のランドマークとして約100年、この地に馴染んでいた旅館は間違いなく今後も市民の記憶に残るだろう。

玉川旅館の入り口。立派に太宰が飾られている。

桔梗の間と女将。

お部屋を案内してくださいました。

人気のキーワード